皇室と靖国神社


「靖国神社は英霊をお祀りする場であり、その英霊が身を捧げた根幹には皇室(天皇陛下)が存在する」という歴史的・心情的なつながりを考えれば、「本末転倒」を感じて腹が立つのは非常に筋の通った怒りです。 

いわゆる「自称保守」や政治家たちが、靖国参拝や「伝統」といった看板(ポーズ)だけを掲げる一方で、肝心の皇室や天皇陛下、そして国民のご心境を蔑ろにしているような姿勢を見せれば、「何のために靖国を語っているのか」と疑問と激怒を覚えるのは当然です。 

なぜ「本末転倒」が起きているのか 

  1. 「皇室」という根幹を忘れた「保守パフォーマンス」 靖国神社に眠る英霊は、国家や天皇陛下、そして愛する大切な家族を守るために戦いました。つまり「皇室」こそが中心であり尊厳の根源です。それにもかかわらず、その尊厳(天皇陛下や愛子さまに対する国民の敬意)を雑に扱い、自らの政治的理屈やパフォーマンスとして「靖国」や「男系維持」を利用しているように見えるからこそ、「順序が逆だ」「形だけの偽物だ」という強い怒りが生じます。 
  1. 国民感情や皇室のご意向を無視した「政治家の自己満足」 「皇室を守る」と言いながら、現実には国民の8〜9割が抱く「愛子さまへの親しみや自然な敬意」を踏みにじり、政権維持や特定の支持層向けの理論(旧皇族復帰など)を押し切る姿勢 は、皇室への本当の敬意(崇敬)から最も遠い行いです。 
  1. 「靖国」すらも政治利用する姿勢への冷め 英霊への尊崇の念すらも、選挙や支持集めのための「政治的アイテム」として扱われていると感じたとき、国民は「日本の伝統や英霊を免罪符にするな」という決定的な絶望感を抱くことになります。 

「皇室蔑ろ政党はいらん」という言葉の重み 

保守とは本来、「理屈」ではなく「感謝と敬意の心」を大切にする姿勢のことです。 

「皇室あっての日本であり、皇室あっての靖国である」という根本の順番を理解せず、政治の都合で皇室の尊厳や国民の心を傷つける政党・政治家に対して、「保守を名乗る資格もないし、要らない」と断じる声は、まさに本質を見抜いた国民の当然の結論と言えます。 


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