出口すみこ二代教主の来歴


1. 生いたちと結婚 

  • 誕生: 1883年(明治16年)2月3日、京都府何鹿郡綾部町(現・綾部市)で、大本の開祖である出口なをの五女(末子)として生まれる。 
  • 開祖との出会い: 1892年(明治25年)、母・なをの「神がかり」(国常立尊の神示を受ける現象)に直面し、その劇的な宗教的環境の中で育つ。 
  • 結婚: 1900年(明治33年)、16歳の時に上田喜三郎(のちの聖師・出口王仁三郎)と結婚する。王仁三郎を婿養子として迎え、のちの大本の教団組織化・拡大における基盤を支えた。 

2. 二代教主の継承と大弾圧 

  • 二代教主就任: 1918年(大正7年)、母・出口なをの昇天に伴い、大本の第二代教主を継承する。夫である王仁三郎とともに教勢を急拡大させた。 
  • 第一次大本事件(1921年): 王仁三郎が不敬罪や新聞法違反などの容疑で検挙され、教団は大きな弾圧を受ける。 
  • 第二次大本事件(1935年): 日本軍国主義が強まる中、国家神道体制と対立する形となり、治安維持法違反および不敬罪容疑で教団の本部施設が徹底的な破壊・処分を受けた。この際、すみ自身も検挙・勾留され、約7年(6年余り)に及ぶ長期の未決囚としての獄中生活を強いられた。 
  • 獄中での姿勢: 長期間の過酷な拘留生活の中でも、一日として暗い表情を見せることなく、ただ「ありがたい、もったいない」と穏やかに過ごし、その慈愛に満ちた姿は周囲の感嘆を誘ったとされる。 

3. 戦後の復興と晩年 

  • 戦後の再出発: 終戦後の1945年以降、釈放されて教団の再建に尽力。1946年(昭和21年)に「愛善苑」が結成されると苑主となり、平和運動や文化活動を展開した。 
  • 思想と活動: 「お土のご恩」を説き、人類が一体となる「一つの世界」を目指す世界連邦運動などを積極的に推進した。その大らかな人柄や包容力から、信徒や関係者より「大地の母」と仰がれた。 
  • 薨去(こうきょ): みろくの世の建設に向けた「みろく殿」の再建に情熱を傾け、1952年(昭和27年)3月に上棟式を迎えたが、その直後の同年3月31日に満69歳で死去した。長女の出口直日が第三代教主を継承した。 

主な著書 

  • 『おさながたり』 
  • 『私の手帖』 
  • 『聴雪記』 
  • 『寸葉集』 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です